寿和物語

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■ 戦場のオカリナ

 瓦礫の街にただずむ一人の兵士、彼が奏でる土笛の音に静かに耳を傾ける中学生の私・・・。たまたま目にしたテレビ映画、タイトルまでは覚えていませんが、その音色に大きな衝撃を受けました。私とオカリナの、出会いの瞬間です。それからの私は“あの音”によって導かれ、そして大人になった今も、大地の韻律(こえ)がもたらす感動に、出会いに、心を高められ、磨かれているのです。  その土笛がオカリナだと知ったのは、しばらく後のことでした。東京のデパートでようやく笛を手に入れたものの、いざ吹いてみると、心のイメージしていた“あの音”がどうやっても出てこない。吹き方だけではなく、笛自体の問題もあったようです。学生時代に当時オカリナの権威だった火山 久氏に師事し、実際に自分でも笛をつくるようになりました。

 これまで、オカリナという笛の特質は、日本では余り詳しく紹介されることがなかったようです。フルートのように楽器としての確立がなされているわけではありませんが、実に奥が深く、さまざまな事象が音色に反映します。季節や天候、また吹き手の精神状態までも。まるで生きているというか・・・、カゼのときにはカゼっぽいし、具合が悪ければそれらしく、時には存在し得ない音まで出てくることがあるんです。自分の思い入れが深ければ深いほど、それをくみ取って、ふくよかな音で応えてくれる不思議な笛。そんな楽器は他にないように思えます。

 音の伝わり方も特殊で、ある任意の音(基準音)より上の倍音しかないことから、音が安定し、音波形もきれいであると言われています。前に有田の窯元でコンサートを開いたとき、舞台のどこで吹いてみても、音が二重奏のように共鳴してしまったことがありました。初めは原因が分からなかったのですが、おそらく会場に千点ほど展示してあった焼きものにオカリナが反応したのでしょう。それらを片づけたところ共鳴音はすぐに止んだのです。オカリナが、そのとき、その場所で、周囲の状態を捉えていることがよくわかります。

 歴史的なことについてもふれてみたいと思いますが、オカリナと言うよりは土笛の一種とした方がよいのかも知れません。これが実に古く、先古典時代(B・C1000年前後)のものも出土しています。映画『眠る男』では、小栗さんに頼まれて当時の笛を再現してみました。そのころは楽器としてではなく、主に儀式や魔除けの行事に使われていたのでしょうか。現在のものと違い動物や人の形をした笛で、お腹に穴があいていたり、素材もさまざま。そして閉管、蓋口で、だれもが吹ける構造のものが多かったようです。  後に、オカリナにドレミの音階をつけたのはイタリア人で、これが1860年ごろのことだとされています。イタリアは和音の国。そこで、オカリナの音域を広げるためのアンサンブル合奏団があちこちで編成されることになります。数多い合奏団の中には、なんと百年以上も続いているグループがあるそうです。

 いわゆる楽器としてのオカリナは、ハーモニカよりやや新しいといった程度の時間しか経ていないので、今はまだ音楽的の制約のない時代です。日本ではオカリナを教える人がフルートの先生だったりします。でも、フルートとは音のつくり方が根本的に違うものですから、これではオカリナの良さが死んでしまう。さらに、教える側は自身の未熟な部分を笛だけに求めているようですが、多くの要素が音色に込められているという不思議さを把握している人はまだまだ少ないように思います。

■ 心との対話

 昭和五十年、それまで勤務していたNHKを退局した私は、師の火山先生とともに、栃木県飛駒での本格的な製作活動に入りました。また、クレイトーンアンサンブル(オカリナ四重奏)としての演奏活動を始めたのもこのころのことです。私が先生の一番弟子として飛駒に移り住み、その半年後に谷君(谷 力)、そしてそのまた一年後に宗ちゃん(野村宗次郎)が弟子として加わり、全国にわたる公演など、放浪しながら一緒に回った時期でもあります。やがて私は師のもとを離れ、太田市八重笠に無有窯を開き、七年ほどの間、オカリナの製作だけに心血を注ぎ込んだのです。吹くことは後でもできる、今はつくることだけを考えたい・・・そう思って太田に移り住みました。三十三歳のときでした。

 太田市八重笠は妻の故郷なんですが、自然のままに時を重ねた、本当に豊かな土地だと思います。目前に広がる、利根川と渡良瀬川に挟まれたこの伸びやかな大地には、カワセミやキジなどたくさんの鳥が空を舞い、全身に陽光を浴びた魚たちが水と戯れています。

 オカリナの不思議なところは、この自然に生きる全ての動物たちと、韻律を介した対話ができるということです。比較的高いオカリナの音には鳥たちが反応し、音色に合わせて鳴き出します。鳥だけではありません。オカリナの音色は昆虫にも分かるのです。コオロギも音とともに歌い出しますし、トンボも動きを止めます。もともとは土から生まれ、語源も「小さなガチョウ」(イタリア語でオカはガチョウ、リーナは小さいの意)というほどですからピュアな音に近いのでしょう。

 笛の構造は球笛(胴体が球形)で、いわゆる閉管と呼ばれるものです。私の想像にすぎませんが、閉管というのは母親の胎内を思い出させる何かを持っているのでしょうか。音の密度が濃いと言われるのはそう言った理由によるものなのかも知れません。あるお寺で公演した際、『オカリナの音が毛穴から入ってきた』って表現していたお年寄りがいましたが、なるほどと思いました。ともかく、動物も昆虫も、そしてまた人間も、オカリナの音色を自然音として受け止めているようです。私は、オカリナを通した心の対話を、さまざまな場所で得ることができるという幸運に恵まれました。

 ある時、おもちゃの図書館で障害を持った子供たちを前にオカリナを演奏したことがあります。初めのうちは、私のすぐ側を走り抜けたり、笛をさわってたりしていた子供たちでしたが、しばらく経つとみんなおとなしく聞いてくれるようになりました。あの子たちは表現の方法が違いますから、音に合わせて突拍子もない声で歌ったり、机や椅子などをガタガタさせてリズムをとったりします。でも、私には、そんな彼らの弾むような心象風景がダイレクトに伝わってきたんです。楽しそうな、本当にうれしそうなあの子たちの笑顔にふれたその瞬間、言い知れぬ感動を受けたことを覚えています。  また、群馬県のとある中学校では二時間ほどの講演を頼まれたことがありました。「やさしいこころ」というテーマでしたが、こころを題材に語るというのは大変なことですね。それに子供たちも二時間では長過ぎて飽きてしまう。そこでオカリナを吹いたところ、今まで騒いでいた生徒たちが水を打ったようにシーンとなり、私の笛に心を集中させ始めました。陰湿ないじめ問題や過酷な受験戦争で揺れている彼らは本当にかわいそうだと思います。しかし、彼らの範たる大人たちがみずからの目的を失いつつある中で、子供たちに対し、一体何を伝えられるというのでしょうか。

 「なんでもいい、自分のできそうなことから始めよう。大切なのは諦めないこと。続けていくことで自分に自信もつき、また多くの人たちとの出会いによって心を強くすることができるんだ。」・・・私はそんな思いを笛の音に込めました。ふと見上げると、子供たちの目に、キラキラと燦めく光が映っています。その光は、私のオカリナが発する韻律に、それぞれが自分らしく反応した証だったのではないでしょうか。  古代マヤの人々は、頭の形をした土笛に水を入れて目から涙が出てくる細工をしたり、水圧を利用してポットの音を出してみるなど、ユニークな遊び方をしていたそうです。昔の人は発想が豊かだったんですね。私はそんな夢のある笛を介して、多くの人々との心の対話を重ねることができました。そしていつしか、子供たちに反射して私にも確かに見ることができたあの光・・・大地の韻律は、さらに大きな感動を伴いつつ、やがて私自信の心までも強く磨いてくれていることに気づいたのです。

■ 無有であること

 無有窯という名称にはさほど深い意味があるわけではないんですが、無である土からオカリナが生まれてくるということで「無有」と名づけました。ここで私はオカリナにかかわるほとんどのこと、つくる、吹く、教えるといったことをしています。

 オカリナには楽器の特質として数多くの不思議な側面があるということをお話ししましたが、実はもう一つの顔、つまり焼きものであるという部分を持っています。焼きものとしてのオカリナは他の皿や茶碗などと違い、各部の厚さがまちまちですから、当然焼き歪みができてしまいます。そこで、焼く前に縮みを計算に入れて半音低く調律し、焼き上がるころにはちょうどよくなっているように仕上げなければなりません。大体千度ぐらいの温度で焼きますが、その辺が調律の可能な上限でしょう。また、唾液を吸ってくれる作用もその温度のものがよいのです。とにかく生きている楽器ですから実に神経を使います。

 後から何かを足すということができない焼きものには失敗がつきもの。カンでちょうどよく焼ければ問題はないのですが、炎から遠いところでできた笛は音が低かったり、何気なくつくったものが良かったということもしばしばあり、決して同じようにはいきません。焼きものは、このように自然がつくるものなので、ある程度は仕方ないと言えるでしょう。

 私が心がけていることですが、例え失敗作があったとしても、ヒビが入っていたり割れているような作品でも、それはそれで生かしてあげることにしています。陶芸家は気に入らない作品を壊すのが当然と思われるでしょうが、私はでき上がった作品を壊したりはしません。気に入らないから壊す、という行為には抵抗があります。どうしてもダメなものは土に帰れる段階で元に戻してあげますから、私の家には在庫というものがないのです。「形造られること」つまり「元に戻れない命」を得たものをいとも簡単に壊すのは、自然に対し、余りにも失礼なことではないでしょうか。

 長い間オカリナとともにあって、私自身気付かされた感覚はおかげという言葉でした。現代人がもうとっくに忘れてしまったかのように思えることは、日常生活も、仕事も、そして生きるということ自体も何かのおかげ、みんな自然の中で助け合っているからこそ「今」が成り立っていることです。おかげということの意味、自然のありがたさ、そして生命の大切さを心の中に強く意識させられていったのです。一人では決して生きられない人間は傲慢になってはならないし、またどんなに小さな生命だっておろそかにすることはできないでしょう。オカリナに宿った土の生命だって同じことです。全ての生物、そして人間もまた、生命の源であるこの土に帰るのですから。ふるさとであるこの大地へ。

 オカリナという一つのことを続けてきて、心磨かれたと感じたことはたくさんありました。人から「いい仕事をやってるね。」って言われることは励みの一つです。でも、自分はみんなに支えられて磨かれていくんだ、という気持ちを忘れてはならないとも思っています。あるそばやで具合の悪かったご主人にオカリナを吹いてあげたときのことです。こちらは満腹の、あまり良くない状態だったのですが、その人は私が次に行ったときには驚くほど元気に回復していました。公演に訪れたお年寄りの中には、手を合わせて「いい音楽を聞かせてもらった。」と言って涙を流している人もいました。どれもこれも、私が心磨かれていった感動の場面の数々です。そんな大地の韻律によって私自身心が磨かれていった例は、数え挙げればきりがありません。乱暴に吹けば乱暴に、優しければ優しく、人の心を還元し、感動を運んでくれるオカリナは、まさに大地がくれた心の砥石と言えるのではないでしょうか。

 今は大分・あの音・に近づけたと思っています。これは私の夢物語なのですが、人々の心が穏やかになるような音・・・・生きることの喜び・を表現できればと考えているところです。それはきっと、人の心を磨いてくれるオカリナだからこそできる、と私は信じています。

ヒーリング・オカリナ奏者 寿和